此の尊像は昭和11年10月23日瀬谷村の秋の祭りと大和村小学校の運動会の見学の帰りに当時、もの
珍しいオート三輪車にて、13名の者が同乗して、小田急桜株一号踏切にさしかかる折から驀進して
きた江ノ島行きの電車に接触し大音響とともに三輪車もろとも11名即死、2名が重症という大惨事を
まきおこし、これを契機に部落の先輩諸志が、交通事故防止を呼びかけ、設立運動をおこし翌昭和
12年有志の善意が高まり、浄財のご喜捨により、綾瀬村の報恩村の報恩寺の住職の御懇篤なるご教導を仰いで、11名の尊きご魂のご冥福をを祈るために十一面観音菩薩が踏切わきのこの地に安置され、そして二度とこのような事故をおこさぬよう、永遠に交通安全を願い菩薩のご加護を祈願し慈に尊像を設立致しました。