「桜ヶ丘自治会」のエリアは元来【桜株】と呼ばれていました。その地名は鎌倉時代の伝説に由来しているとのことです。藤沢市遊行寺の境内における小栗半官と照手姫との宿命的な恋物語から始まっています。

照手姫は天下の若武者の耳目を集めていた美少女であり、半官の一途な求婚に照手姫の父君は、はたと当惑し思案の末、どうしようもない悍馬(かんば)を差し見事に乗りこなせたら汝の希望をかなえてやると逃げ口上を言ったのです。武芸者小栗半官心得たりと袴の裾をまくり上げ、悍馬の鬣さっと押さえるやひらりとまたがり境内を一周し一鞭入れて、若武者一同あれよあれよと言う間に東海道を西進して北に折れ今の藤沢大坂をかけ走り、一息入れるために一本の桜の苗木に手綱をつなぎ降りた途端に荒馬は、本性を発揮し桜の苗木を根こそぎ引きずって、滝山街道一目散に北に暴走、現在の桜ヶ丘交差点まで来た時、馬の手綱が解け桜の木が残り、定着し見事な桜株の地名と、半官照手姫の恋物語を結ぶ。・・・
(大和市自治連創立10周年記念誌より抜粋しました。)

時は流れて、桜ヶ丘自治会が設立された昭和22年は650世帯でしたが、昭和27年に桜ヶ丘駅が開業してから、その後人口が増え、令和4年4月には2053世帯になっています。その中で自治会加盟は1092世帯で、加盟率は53%となっています。​

2005年(平成17年)
地区運動会の模様

昭和3年11月の
秋祭りの模様​